2009年12月11日

塩素は強い毒性を持つ為

塩素は強い毒性を持つ為、人類初の本格的な化学兵器としても使われた。第一次世界大戦中の1915年4月22日、イープル戦線でのことである。この時にドイツ軍の化学兵器部隊の司令官を務めていたのは後年ノーベル化学賞を受賞するフリッツ・ハーバーである。

塩素を吸引するとまず呼吸器に損傷を与える。空気中である程度以上の濃度では、皮膚の粘膜を強く刺激する。目や呼吸器の粘膜を刺激して咳や嘔吐を催し、重大な場合には呼吸不全で死に至る場合もある。液体塩素の場合には、塩素に直接触れた部分が炎症を起こす。

塩素を浴びてしまった場合、直ちにその場からはなれ、着ていた衣服を脱ぎ、毛布に包まるなどして体を温めなければならない。直ちに医療機関での処置を要する。呼吸が停止している場合には一刻も早く人工呼吸による蘇生を行わなければならない。呼吸が苦しい場合には酸素マスクの着用を要する。
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特に塩素を含む漂白剤(次亜塩素酸ナトリウム)と酸性の物質を混合すると、有毒な単体の塩素ガスが遊離し危険な状態となる。このため、漂白剤には「混ぜるな危険」の表示がある(しかしこれだけの表示では、具体的に何と混ぜると危険なのかが示されていない)。この表示がされる前には1986年には徳島県で、1989年には長野県で、実際に塩素系漂白剤と酸性洗浄剤を混ぜたことにより、塩素ガスが発生し死亡した事故が起こっている。

塩素はオゾンホールの原因物質としても指摘されている。フロンなどの塩素原子を含む化合物が紫外線に当たると、結合が切断され塩素ラジカルが生じる。塩素ラジカルは周囲のオゾンと反応して触媒的にオゾンを酸素分子へと分解するため、オゾン層の破壊効果が大きい。

2009年11月30日

がん

タバコによる健康リスクで最も有名なのが肺ガンであるが、喫煙によって罹患率が増加することが示されている癌として、肺癌、喉頭癌、咽頭癌、食道癌、膀胱癌などもある。

また近年、遺伝子研究によりその原因が遺伝子による影響が大きい事が明らかになってきた。肺ガンの原因では主に7〜8つの遺伝子が大きな影響を持っており、ここに個人差の問題が生じてくる。ヒトの身体を構成する細胞は、分裂・増殖を繰り返し、がんは細胞分裂の際、特定の遺伝子のコピーにミスが起こることで生じる。喫煙では気道や肺の炎症・破壊が生じ、修復のために細胞の増殖が促進され遺伝子のコピーミスが生じやすい環境になると考えられている。 このため肺ガンリスクの高い遺伝子を持った人が喫煙をするとより肺ガンリスクを増大させる事となってしまうとして注意喚起が行われている。
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疫学研究からの統計によれば、日本の2003年の20?24歳の男性が喫煙を開始して肺癌を発症して死亡リスクは、喫煙者で人口10万人あたり114.0人( 0.0011%)、非喫煙者は24.1人( 0.0002%)との統計から、リスクは約5倍となる結果が示された。全癌においては、10万人中、喫煙者で571.5人( 0.0051%)、非喫煙者で347人( 0.0003%)との結果から癌罹患率が高い事が示されている[16]。

呼吸器疾患 喫煙により慢性気管支炎、肺気腫などが生じる。これらの2つの疾患のことを纏めて慢性閉塞性肺疾患(COPD)とも言う。軽度のものを含めると、習慣的喫煙者のほぼ100%に気腫性変化が生じている一方、非喫煙者にはほとんど見られない。ヒトの肺は、数億個の直径約0.1mmの肺胞で構成され、その総面積は約50?60m2であり、この肺胞を介して血液と空気中の二酸化炭素、酸素などのガス交換を行っている。肺胞がタバコの煙に曝露されることで肺胞壁の炎症、破壊が生じ、結果的にガス交換可能な面積が減少してしまう。これが肺気腫の状態である。通常の空気を呼吸するだけでは充分なガス交換を行えず、また肺胞の破壊によって生じた肺の空洞によって胸郭の動きが制限され、呼吸困難となる。

2009年11月26日

飲酒運転

飲酒運転(いんしゅうんてん)は、飲酒後にそのアルコールの影響がある状態で車両等を運転する行為をいう。同様な状況で鉄道車両・航空機・船舶等を操縦する場合には、飲酒操縦(いんしゅそうじゅう)という。

交通法規による規制により、飲酒等により血中または呼気中のアルコール濃度が一定数値以上の状態で運転または操縦することを特に酒気帯び運転(操縦)といい、数値に関係なく運転(操縦)能力を欠く状態での運転を特に酒酔い運転(操縦)という。

酒に含まれるアルコール(エタノール)は、中枢神経系に作用し脳の神経活動を抑制(麻酔作用)する物質である[1]。すなわち飲酒という行為は、運動機能の低下、理性・自制心の低下、動態視力・集中力・認知能力・状況判断力の低下等を生じさせるのが必然の行為である。一方、自動車などの運転という行為は、免許制をとっていることにも表れているが、運転者本人、同乗者、周辺の歩行者らの生命にも関わるくらいの大きな危険を本来ともなう行為である。このために、多くの国において免許の有無にかかわらずアルコールの影響下にある状態での運転を禁ずる法律が作られている。
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日本においては、道路交通車両等の場合は道路交通法第65条第1項で「何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない」と規定されており、違反は取締りの対象となる。同法上の「車両等」には自動車やオートバイ(原付含む)だけでなく自転車等の軽車両、さらにトロリーバス、路面電車、牛馬等も含まれる。 鉄道車両の場合には、鉄道に関する技術上の基準を定める省令第11条第3項、軌道運転規則第6条の2第2項、無軌条電車運転規則第2条の2第2項により、飲酒操縦が禁止されている。

2009年11月13日

金本位制の元で

金本位制の元で、経済危機はそのまま経済の根幹を受け持つ正貨(金)の流出につながる。7月のドイツからの流出は10億マルク、イギリスからの流出は3000万ポンドだった。さらに数千万ポンドを失ったイングランド銀行は1931年9月11日金本位制を停止し、第1次世界大戦後の復興でやっと金本位制に復帰したばかりの各国に衝撃を与えた。イギリスは自国産業保護のため輸入関税を引き上げ、チープマネー政策を採用した。ポンド相場は$4.86から$3.49に引き下げられた。ブロック経済政策は世界中に波及し、第二次世界大戦の素地を作った。

特に1929年2月に金本位制に復帰したばかりの日本は色々な思惑から、世界経済混乱の中で正貨を流出させた(金解禁は1930年1月から1931年12月10日まで)。この決定は「嵐の中で雨戸を開けた」と評され、昭和恐慌から太平洋戦争へ至る道筋を作ったと言われる。
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(当時金価格は1トロイオンス$20.67、4.25スターリングポンドであった。戦後はニクソンショックまで1トロイオンスあたり$35の固定相場である。今1トロイオンスの地金は約8万円なので、$1億=現在金価値約4000億円相当と考えられる(2008年10月現在)。ただし、当時の経済規模を考えると10倍以上のインパクトがあったと思われる)。

未曾有の恐慌に資本主義先進国は例外なくダメージを受けることになったが、その混乱の状況や回復の過程・速度については各国なりの事情が影響した。

2009年10月31日

コラーゲンが地球で初めて誕生したのは

コラーゲンが地球で初めて誕生したのは、原生代後期の全球凍結後(6億?8億年前)と考えられている。コラーゲンの産生には大量の酸素の供給が必要であるが、全球凍結以前は地球においてはコラーゲンを作り出せるだけの高濃度の酸素が地球に蓄積されなかった。そのためそれまでの生物の進化は単細胞生物までに留まっていた。そして全球凍結の状態が終わり、急激な気候変動の影響で大量に酸素が作られ地球に蓄積した。この影響により単細胞生物がコラーゲンを作り出す事に成功し、細胞同士の接着に利用され、単細胞生物の多細胞化が促進された。今日に見られる多細胞生物(動物・植物・原生生物・真菌類)は全てこのコラーゲンの生産に成功した種の子孫であると考えられている。(ただしその子孫である植物は細胞間接着にコラーゲンを用いず、セルロースを用いており、コラーゲンを細胞間接着として利用している生物は動物と一部の原生生物に限られている)
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2004年までに、ヒトのコラーゲンタンパク質は30種類以上あることが報告されている。それぞれのコラーゲンは、I型、II型のようにローマ数字を使って区別される。例えば、真皮、靱帯、腱、骨などではI型コラーゲンが、関節軟骨ではII型コラーゲンが主成分である。また、すべての上皮組織の裏打ち構造である基底膜にはIV型コラーゲンが主に含まれている。体内で最も豊富に存在しているのはI型コラーゲンである。

これらのコラーゲンタンパク質は、すべてが上述のコラーゲン細線維を形成するタイプとは限らない。

2009年10月20日

寄せ踊り

公民館や広場に集まって行う盆踊りであり、現在よく行われるものである。集落ごとの小規模な踊りの場合、何時から踊り始めるかは厳格には決めていない場合が多い。そこで、大抵は寄せ太鼓をたたいたりして、集落の人を呼び集める。小さな輪が立つくらいの人数になったら踊りを開始するのが普通である。

唄   新作踊りの場合を除いて、通常は口説き手(音頭取り)の口説きに合わせて踊る。盆踊り唄には、鈴木主水などの長編を延々と口説く「段物」と、7・7・7・5(例・踊り踊るならしなよく踊れ、しなのよいのを嫁に取る)を自由に口説く「切り口説き」と、曲と歌詞が固定しているもの(座敷唄の転用のもの)とがある。
楽器   太鼓のみ用いるところが最も多いが、中には三味線を用いたり、楽器は一切用いずに踊りながら団扇で拍子をとる(団扇太鼓という)ところもある。
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櫓   庭入りの場合、櫓は設置しないため、口説き手(音頭取り)は輪の真ん中、または庭の隅などで口説く。寄せ踊りの場合は櫓を設置し、その上に上がって口説く。
踊り手   普通は輪になって踊る、輪踊りである。地域によって右回りか左回りかが決まっており、中には踊りの種類によって進行方向が変わる地域もある。

踊るときに用いる道具のことを、採り物という。大分県の盆踊りは、手踊りが最も多いものの扇子や銭太鼓などといった採り物を使う踊りもかなり多い。ここでは、手踊りも含めて紹介することにする。

2009年06月21日

日本の新聞の歴史は、紙などが庶民に普及し出した

日本の新聞の歴史は、紙などが庶民に普及し出した江戸時代に見る事が出来る。有名な物では、瓦版と呼ばれるもので、亙に文字を彫り込み、凹版印刷の要領で多量に印刷し、作る物である。

明治期になるとヨーロッパなどから活字印刷技術が導入され、凸版印刷が主流になる。

昭和中期に入ると鉛板に活字を彫り、1枚の板状の凸版印刷となる。

昭和後期から平成期になると、印刷にコピー機の原理が加わる。レーザーを使用したフィルムプリンタの登場により、新聞紙面大のフィルムに文字を焼き付け、現像。ネガであるため白抜きの文字になる。以下は、液体コピー機の原理と同じである。作成したフィルムをフィルタとして大型の感光ドラムに照射し、感光ドラムまたは感光フィルム(以下感光体)の表面電位を変化させ、感光体に文字を電位変化という形で作成する。次に液体トナーと呼ばれるインク物質を感光体に触れさせ、電位変化のあった感光体の文字部分にインクを付着させる。次に紙と触れさせ転写を行う。カラー印刷を行う場合は、4色の色別に印刷機が組み合わされる。
物流
剣道
理学療法
建築学
救急医学
東海地方
結膜炎
有機化学
糖尿病
エックス線
湯・群馬
冠婚マナー集
玉露百科
楽しいアロマ
日本の音楽
皮膚と体毛
コーヒーで一息
循環器事典
さくら咲く
こどもの歌

一般紙 [編集]
一般紙には、大手の全国紙と、一つの県単位で発行される、地域密着の地方紙、複数の県を対象にしたブロック紙がある。

販売方法としては、各地域の新聞販売店からの宅配による月極め販売と、鉄道駅売店、コンビニエンスストアなどでの一部ごとの販売が行われ、朝刊と夕刊が発行される場合が多い。一般に朝・夕刊の1日2回発行する新聞を「セット版」、どちらかのみ(全国紙、一部地方紙など一般には朝刊のみを指す)を発行するものを「統合版」という。ただ、近年は朝刊だけを購読する家庭が増えてきており(「セット割れ」)、『産経新聞』(東京本社)のように夕刊を廃止した社もある。

全国紙では、欧米などの主要な国に紙面が伝送されて、現地で国際版が印刷されており、一部主要都市の書店やホテルなどで販売されている。

地方新聞の題字(1面)は、その地域の名産品、気候、文化、観光名所などをデザインにあしらったものもある。

1日のページ数は朝刊が20ページから多いものでも40ページ近く、夕刊は8ページから20ページ近くである。ただし、大型選挙(参議院、衆議院の国政選挙、あるいは統一地方選挙)の開催翌日や年末(12月29日-12月31日)の朝刊は特別紙面体制の関係で16-20ページに縮小(夕刊は年末年始=12月29日から1月3日と日曜・祝日は専売紙の一部を除いて休刊)。

内容としては政治・経済・社会的なニュースだけでなく、テレビ・ラジオの番組表(通称ラテ欄)、天気予報、読者投稿欄や囲碁、将棋欄などの家庭一般向け記事が掲載される。自社の論説委員が書いた社説を掲載して、その新聞社の見解や意見を社会に示すこともある。また一面の下部にコラムが掲載され、社会常識の問題として入学試験に引用されたりする。日本政府から政府広報として日本国民に周知する事柄が広告として掲載されることもある[1]。

一般紙については宅配制度などによって新聞普及率が高く、テレビやラジオ、電車内や駅構内など各種メディアへの広告(コマーシャル)や、新聞社が通話料を負担するフリーダイヤルによる購読申し込み窓口の設置、新聞販売店や「拡張員」と呼ばれる外部セールスマンによる訪問販売などにより、営業活

2009年06月02日

短刀(たんとう)とは、長さ一尺(約30.3cm)以下

短刀(たんとう)とは、長さ一尺(約30.3cm)以下の刀の総称。
刀身の長さが一尺を超えるが短刀の様式を持つものは、特に「寸延短刀(すんのびたんとう)」とも呼ばれる。

短刀には様々な種類の刀が含まれ、用途から刺刀(さすが)、所持のしかたから懐刀・腰刀(こしがたな)、拵えの形状から鞘巻(さやまき)・合口(あいくち/匕首)などともいう。

英語でいう所のショートソードからナイフに相当する概念の武器で、携帯の便に即したものから、至近距離での攻撃(余りに近いと本差などの大振りの武具の死角になってしまう)などに適したものなどであるが、その一方で小柄・刀子のように日常具・文具として併用された物や懐剣など装飾された短刀の中には子供や女性などの護身具として携帯されたものも含まれる。こういったものは「守り刀」と呼ばれ、一種のお守り(護符)として邪気や災厄を払うものとして扱われた。今日でも皇室の儀式中に「賜剣の儀」という、天皇家及び宮家で子が生まれた際に守り刀を天皇から贈る儀式がある。この賜剣の儀で贈られる守り刀は、製作した刀匠による写しが存在しており、刃渡:20~28?、平造り、筍刀反り・筍反りという内反りの短刀である。この造りは筍造り・筍刀造り(たけのこづくり・じゅんとうづくり)とも呼ばれ、筍刀:(じゅんとう・たこうながたな・たかんながたな)はその形から蕨手刀の一つの流れを汲む名残だという見解がある。また、元は平安時代ごろまで火で炙り加熱消毒して臍の緒を切った短刀だったが(出展:菅原孝標女?『夜の寝覚』)、後に元服の際に元結や髪先を切ることに用いられた。
投資 新築 審美歯科 アウトドア 老人 バイク 学校 交通 検定 中国四国 プチ整形 老人 メイク アルバイト 懸賞 老人 ポイント ぜん息 電器製品 整体 植物 スクール 宿泊施設 学習 地域情報 ネイル 求人募集 しみ取り 人探し 実益 整体 生活雑貨 仏壇 ぜん息 スポーツ 整体 自動車 パソコン 北海道東北 遊園地 産業 プチ整形 宣伝 バイク 賃貸 生活 整体 園芸 健康 教材

ヤクザなどの隠語としては「ドス」(粗製の鎬造りの短刀を「ドス」という。)と呼ばれ、密輸入・密売買された拳銃などとともに、相当数が暴力団組織に保有されているものと見られている。ただし、「ドス」の実物には、日本刀の「匂い」のような鑑賞に耐えうる鉄の地肌組織は無い。玉鋼を何回も折り返して作る日本刀と異なり、「ドス」は一般的な和包丁と同様に、実用鋼と軟鉄の張り合わせで作られる(和包丁で言う所の「霞」である)。そのため「ドス」の外観は、刺身包丁を両刃にしたものに近い。「ドス」は、モラルをわきまえない一部の包丁鍛冶が包丁制作の余技として作っていると言われており、日本刀の一種と言うよりは、和包丁の奇形として捉えるべきものである。美術的価値も実用的な所持理由も無いため、「ドス」を所有していると銃刀法違反で罰せられる。

江戸時代の社家・国学者なかには、惟神(かんながら)の心を顕すため、自身の佩刀として、短刀身ではなくより古代的な「両刃の剣身」[1][2]をもちいる事もあった。

旧帝国海軍の士官・兵学校生徒の「短剣」は、平安・鎌倉以来の日本古来の短刀を、西洋短剣の拵えで仕立てたものであり、「和魂洋才」を象徴している。

2009年04月30日

モンロー主義

モンロー主義(モンローしゅぎ、英:Monroe Doctrine)は、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したことを指す。第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、1823年に議会への7番目の年次教書演説で発表した。モンロー宣言と訳されることもあるが、実際に何らかの宣言があったわけではないので、モンロー教書と表記されることも多い。この教書で示された外交姿勢がその後のアメリカ外交の基本方針となった。原案は国務長官・ジョン・クィンシー・アダムズが起草した。

19世紀前半、ラテンアメリカ各地で独立運動が起こった。19世紀初頭のナポレオン戦争、特に半島戦争はスペインのアメリカ植民地に対する支配力を弱め、中南米諸国は次々に独立していた。スペインが中南米植民地での独立運動を鎮圧しようとした。しかし、ナポレオン失脚後のヨーロッパは自由主義、ナショナリズムを敵視する保守反動的なウィーン体制下にあったため、この体制を主導していたオーストリアの政治家メッテルニヒは、独立運動への干渉を図った。また、独立運動を支持する姿勢をみせていたイギリスも、その狙いはラテンアメリカを経済的従属下において自国の市場とすることであった。こうした動きを牽制するため、モンローが年次教書において、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸の相互不干渉を示すに至ったのである。

南北アメリカは将来ヨーロッパ諸国に植民地化されず、主権国家としてヨーロッパの干渉を受けるべきでない旨を宣言した。それはさらにヨーロッパの戦争と、ヨーロッパ勢力と植民地間の戦争に対してアメリカ合衆国は中立を保つが、植民地の新設あるいはアメリカ大陸の独立国家に対するいかなる干渉もアメリカ合衆国への敵対行為と見なすという意図を述べたものであった。

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合衆国にとって、もう一つの大きな懸念材料は、アラスカ(当時はロシア領)からロシアが太平洋沿いに南下政策を図ることであった。そのため、この教書はロシアのアメリカ大陸進出に対する牽制という狙いも含んでいた。

つまり、モンロー教書は欧州列強に対する「アメリカ大陸縄張り宣言」であり、それに従いアメリカ合衆国はさらにアメリカ先住民掃討を進めていく。しかし、1890年の「フロンティア消滅宣言」で「先住民掃討完了」を宣言してからは、米西戦争でフィリピン・グアムに進出するなど事実上モンロー主義を棄て、アメリカ合衆国は太平洋そして世界における勢力(縄張り)の拡大に乗り出していく。

2009年04月15日

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題は、ドイツとデンマークの中間にあった、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国(現在は大部分がドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州)の帰属を巡る問題をドイツ側から論じたもの。デンマーク語では南ユラン問題と言う。このように立場により名称すら違うことから分かるように、典型的な民族問題である。ドイツ人によるゲルマン主義と、北欧人によるノルマン主義のナショナリズムの衝突であった。ゲルマン主義はドイツ統一後に全体主義化し、汎ゲルマン主義へと変遷していった。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題は、ドイツにおけるドイツ統一と同義となり、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争へと発展し、最終的には武力によって解決させられた。

ユトランド半島の付け根にあるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国は、中世よりデンマークとドイツ諸侯の領有権争いの温床となってきた。1460年に当時カルマル同盟を率いていたデンマークによって領有され、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国が形成された。しかし、シュレースヴィヒ=ホルシュタインは2つの公国から成り、ホルシュタインはドイツ側のキールに首府をおいていた。この地域はドイツに近く、近世以降ドイツ人が主体を占める様になって行った。

ドイツにはドイツ人、デンマークにはデーン人(デンマーク人)という民族意識を持つようになるのは、17世紀に勃発した三十年戦争以後の事である。しかし両民族による国民意識が高まるのは19世紀初頭、ナポレオン戦争によってであった。その原因となったフランス革命は国民国家の礎を築き、革命の輸出という潮流を生み出した。

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国でも同様であった。南部のホルシュタイン公国では次第にドイツ系の住民によるデンマーク被支配に対する反感が高まる事となる。この時期におけるドイツ側の政治的問題は、「ドイツ統一」問題であった。ドイツの歴史上において、三十年戦争以来分裂状態を極めてきたドイツに民族主義が芽生え、統一に向けての運動が波及したのである。この運動は、ホルシュタイン公国におけるドイツ人を刺激した。おりしもフランス7月革命の影響が欧州各国に波及したことで、この問題は急激に拡大して行く。

発端 [編集]
その最初の芽が1842年にまかれた。この年、ホルシュタイン公国で小規模ながらドイツ系の反乱が起こされたのである。この反乱はすぐに鎮圧されたが、ドイツ、デンマーク両国のナショナリズムに火を付けることとなる。ドイツでは前出のドイツ統一問題、デンマークではこの時期に北欧全体に震撼を与えていた「汎スカンディナヴィア主義」が政治問題と結びつけられ、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン死守の号砲が、北欧諸国民によって撃ち鳴らされた。特にスウェーデン=ノルウェー王オスカル1世はこの主義の熱烈な主義者であった。この国王は、北欧の一体化を目指し、欧州列強に対し独自性を主張して行くのである。

1848年、デンマークではオレンボー家最後の王フレゼリク7世が即位し、シュレースヴィヒ=ホルシュタインがデンマークと不可分であることを宣言した。この宣言は1849年にデンマークの「6月憲法」の一部として制定された。欧州では1848年革命が勃発し、ドイツにも波及した。ドイツにおける統一問題は、ホルシュタインのドイツ人をしてドイツとの連合、デンマークからの分離運動に発展するのである。

こうした経緯の中、再び反乱は起こされた。ホルシュタイン公国においてドイツ系の暫定政府が成立し、デンマークからの独立を画策したのである。暫定政府は、ドイツ連邦で有力な地位を占めるプロイセン王国の支援と分離の支持を受けていた。一方、シュレースヴィヒ公国はデンマーク残留を望んでいた。

第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 [編集]
かくして第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争は引き起こされた。1848年から1852年まで続いた戦争で、ホルシュタイン側をプロイセン王国、両国の維持とシュレースヴィヒ側をデンマークが支援し、出兵した。スウェーデンは中立主義にのっとり、直接参戦はしなかったものの、スウェーデン王オスカル1世の政策によって義勇軍が送られた。戦争はプロイセン軍の撤退によって終了したが、問題は何ら解決しなかった。第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争後に結ばれた「ロンドン議定書」は、終戦条約と言えるものとはならなかった。議定書は、6月憲法の両公国への布告が明言されず、現状維持を呈する内容であった。しかも公国問題のみならず、この時期、デンマーク自体の王位継承問題も浮上するのである。新王家が両公国の主権を獲得するか否かの問題も加わり、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題は複雑化していったのである。

6月憲法が両公国に布告されなかったことで、同様な問題が後にも起こり得る可能性があった。プロイセン王国は、両公国がデンマークに属するものではないと認識していた。また議定書は、6月憲法がデンマーク国内にのみ適用されることを認めていた。

ドイツ側からすればこの時期、統一を志向するナショナリズムのエネルギーに欠けていたことが、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争の失敗に繋がったと言えた。デンマーク側からすれば、当時盛んとなっていた汎スカンディナヴィア主義の時流に乗り、北欧全体の支援を得たことが戦争の勝利に帰結したと言える。しかしこれは、諸問題の解決には至らなかった。 

第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 [編集]
1863年、デンマーク王フレゼリク7世が死去する。デンマークの王位継承法と議会の決定により、オレンボー家の傍流グリュックスブルク家のクリスチャン9世がデンマーク王を継承することになった。フレゼリク7世は生前「11月憲法」を布告し、両公国のデンマークへの併合を含めた「継承令」を明らかにした。こうして新王家グリュックスブルク家が両公国の主権者となったが、これに反対の立場を示したのが、一方の係争国であるプロイセン王国であった。この時代になると、ドイツ人のナショナリズムは以前よりも高まりを見せ始めていた。一方北欧では、汎スカンディナヴィア主義の退潮の兆しが見え始めていた。それでもなお、汎スカンディナヴィア主義はスウェーデン=ノルウェー王カール15世によって牽引されていた。

一方、ドイツ統一を牽引していたのが、1862年に宰相となったビスマルクであった。鉄血政策を推進するビスマルクは、1863年に制定された「11月憲法」はロンドン議定書違反であるとして撤回を要求すると同時に臨戦態勢を取り、デンマークを圧迫した。戦争回避は望めず、1864年に両国は開戦した。第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争の開始である。オーストリア帝国と同盟したプロイセン軍は、圧倒的な軍備とビスマルクの外交政策により、スウェーデンと欧州列強の中立を導き出し、デンマークを屈服させた。汎スカンディナヴィア主義はこの戦争の敗北により挫折した。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国は、プロイセンとオーストリアに引き渡された。

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題は、結局力によって解決された。1866年には普墺戦争が起こり、両公国はプロイセン王国によって併合される。この後デンマークは、挫折から立ち直るために「外で失ったものを内で取り戻そう」と言うスローガンの元に復興を目指すのである。

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題は、このようにして終末を迎えたが、デンマーク人が多数定住していた北シュレースヴィヒは、第一次世界大戦でのドイツ帝国の敗退により、戦勝国である連合国によって民族自決権を与えられ、住民投票を経てデンマークに復帰した。現在のドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州には、今もなおデンマーク系住民が少なからずいるが、もはや民族問題は起きていない。なぜならば、EU通貨統合により経済的障壁がなくなり、またシェンゲン協定によってパスポートコントロールが撤廃されたため、国境が実質的に消滅しているからである。しかし彼らは、今でもデンマーク人としての誇りを持ってデンマークの国旗を掲げ、女王マルグレーテ2世に忠誠を誓って現代を生きている。

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